Charlie's Cocktail BAR

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ペンは剣より強し

この文章を書くにいたった戦争というか侵攻の子細についてはさておくとして、メディアが戦争を止められなかったことをもって「ペンは剣より弱い」とする発言を目にしたのですが。

これは「ペン」と「剣」の特性を知らない人の言葉ですね。

The pen is mightier than the sword.「ペンは剣より強し」という格言、出典はイギリスの政治家であり小説家でもあったブルワー・リットン興の『リシュリュー』という戯曲だと言いますし、少なくとも古典ラテン語の世界では、たとえば大カトーと呼ばれる人物が紀元前191年にアテネで言ったとされる Antiochus epistulis bellum gerit, calamo et atramento militat「(シリアの)アンティオコスは書簡を武器に戦争を為す、ペンとインクで戦うのである」の例を見るに、このようなときには「ペンとインクで」という言い方をするようですので、慶応義塾のステンドグラスに書いてある Calamus gladio fortior というラテン語は後世、それも案外日本人の創作ではないかと思いますが、それはさておき。

「ペン」は、理性を失った「剣」を止めることはできません。それどころか、「ペン」を構成する個人個人はそのような狂「剣」によって、容易に打ちのめされます。

それは、もともとこの格言の前に付されていた Beneath the rule of the men entirely great「まこと偉大なる人々の統治のもとでは」という前振りからも明らかでしょう。

が、「剣」が打ちのめすことができるのは、その場に存在する「ペン」のみです。空間的・時間的にその場にいない「ペン」を打ちのめすことはできません。

しかるに、「ペン」はその場にいない「ペン」に自分の意志(あるいは遺志)を伝えることができるのです。

いや、「剣」によって沈黙を強いられてなお「ペン」は「ペン」の興味を引くことができると言ってもよいでしょう。

そして、「剣」の狂気が(往々にして「ペン」の努力によって)去ったとき、あるいはその「剣」が(こちらは往々にして個人の加齢や制度疲労によって)力を失ったとき、「ペン」は、あるいは断罪という形で、あるいはその「剣」に対抗しうる、より理知的な(と「ペン」が信じた)「剣」を担ぎ出すことで、反撃を開始するのが常です(もちろんそれが本当に必要ならばの話ですが)。

言うなれば「剣」の力は爆弾の力、「ペン」の力は炭火の力。

確かに単純な火力を比較すれば爆弾の方がはるかに上ですが、爆弾は、みずから爆弾を生成しえない。環境を破壊し、炭をつくって消えるのみ。

そんな爆弾が、いくら炭を吹き飛ばそうと、否、吹き飛ばせば吹き飛ばすほど、炭は内に火をとどめて、人に暖を与え、煮炊きのすべとなりながら、みずから燃え尽きるまで、生木に火を入れ、あるいは濡れきった炭を乾かして、その火種を残します。

「剣」が徹底的に「ペン」を排除し、それこそ世界を「剣」のみにでもすれば話は別ですが、「剣」が「ペン」との共存を願いながら「ペン」と戦うのなら、ごく短期的にはともかくとして、永遠に「ペン」に勝ち続けることはできません。

それこそが「ペン」の強さでしょう。

その同じ特性から、「ペン」が狂「ペン」となったときには「剣」でも始末に負えないものになるという一面も確かに否定はできませんが(それゆえに「ペン」は自らに、また自らの後継者たちに教育を課すのですやね)。

少なくともペンと剣の戦いについてのみ言うなら、物書きの一人として、ぼくはもっと「ペン」の力を信じて欲しいなと思うし、先日も書いたけれど、たとえば選挙という行為によって「剣」の暴走を食い止めることもできうるのだということは忘れないでいて欲しいと思う。

だって、「ペン」の戦いはこれからが本番なのですから。

Permalink | 2005/08/15 08:59


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