Charlie's Cocktail BAR

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もう二週間近く前のことになるある日のこと、魚屋で買ってきたアサリの砂を吐かせようと、こすり洗いしてから一晩塩水につけておいたことがありました。

それ自体は、少なくともぼくにとってはごく当たり前の、ほとんど何気ないと言ってかまわないくらいの処置でして、夕飯後、ボウル一杯の水に、ぼくの手でほぼ一つかみの塩を入れ、翌朝のみそ汁にするべくそのまま放置しておいたことが話のタネになろうとは予想だにしていなかったのですが。

翌朝、ある意味では当然のことながら、「アサリさん」たちはボウルの中、所狭しと言わんばかりに管を伸ばしてのんべんだらりとくつろいでおられました。

まあ、塩加減がよかったということでしょう。

そういうアサリの姿を見たことのない方のために補足しておけば、生きているアサリは、スーパーなどでは緊張しているため全部貝の中に隠していますが、適度な塩水の中につけて、いじらずに放置しておくと、呼吸したり捕食したり移動したりするために二枚の貝の間からベロ(や管)を出すのです。
どうしても想像できない方は、カタツムリのような状態になると思ってください。

死んでいる貝は、もう呼吸の必要もありませんからベロを出したりしないわけで、ベロを出しているのは(それなりに)元気な、活きがよい証拠。
さていただきましょうと、ぼくは思ったのですが。

かみさん曰く、「あまりにくつろいでいるものだから、かわいそうで――」

折しも毎月購読している『きょうの料理』に、潮干狩りに行ってつかまえてきた(生きている)貝を満足そうに見ていた子供が、貝を汁にされて憮然とするという四コマ漫画が出ていたのを思い出して苦笑してしまったのですが、そういえば似たような話はあちこちで耳にします。

捕鯨にまつわる論議なんかはその代表でしょうし、小鳥をむしって焼いたのを出されてショックを受けただの、生後数ヶ月の牛をつぶしているのを見てショックを受けただの、具体例には事欠きません。
捕食する人にとっては動く食料に見えるものも、捕食しない人には別種の生き物に見えるのですよね。

そう思ったところで、ふと気になったのです。

最近の子供は魚の絵を描かせると切り身の絵を描くなどという笑い話ともつかない話を耳にしますが、大人たちだって本当は似たり寄ったりで、自分が日々どんなものを食べているのか、まったくわかっていないのではないかしら――。

刺身や切り身になって売られている魚が、本当はどれほど大きな魚で、どこで何を食べて暮らしているのかとか、どこそこの肉として売られている家畜が、どんな鳴き声で、どんな仕草でえさをねだり、本当はどんなところが気に入っていて、何をして遊ぶのが好きなのか、絞められる――殺される――ときにはどんな悲鳴をあげ、どれほどのたうち回るのかとか、自分が口にするものすべての素性、生態を知っている人は、そうは多くないでしょう。

得体の知れないものを食べている、そのこと自体もあやういことだと思うのですが、なによりも、自分たちが、動物植物の別を問わず、生きている、これから成長する余地のあるものを殺して、あるいはほかの生き物が成長するのに必要としている栄養を奪って、自分たちの栄養に変えているのだということが忘れられつつある、実感できなくなりつつあるとしたら、こわいことです。

忙しい現代人、いつもいつも加工されていないものを一から加工して食べるわけにはいかないでしょうが、できるだけ加工された度合いの少ない物を、きちんと料理して食べたい/食べさせたいものだと、感じ入った朝のことでした。

というわけで、とりあえず数日来書きかけでとまっていたよしなしごとを一題仕上げて追加。

一段落ついたと思ったのはやはり甘かったようです。

Permalink | 1999/03/27 09:00


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