Charlie's Cocktail BAR

  • −お酒は責任のとれる範囲で飲みましょう−

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これは書きかけたまま止まっている『五本で〜』の最終的なテーマでもあるのですが、なんだか某所で議論沸騰しているようなのでちょっとだけ書いておきます。

カクテルって、結局のところは相手に対する気配りです。どんなお酒でもそうかもしれませんし、お酒に限らずサービス業の扱うものはなべてそうだと言ってもよいですが、どんな混ぜものをしてあろうとも、相手に対する気配りのないものはカクテルではありません。断言しちゃいます。

これは、作り手だけでなく、飲み手にも言えること。作り手が飲み手に対する気配りを失えばカクテルではなくなるのと同様に、飲み手が作り手に対する気配りを失ったら、その瞬間に目の前のお酒はカクテルではなくなります。

自分一人でつくって飲むときでも、自分に対する気配りがあればカクテル、なければただの酒。

もちろん気配りがあれば、その瞬間にどんなお酒でもカクテルに変わりえます。
英国首相ウィンストン・チャーチルがベルモットの瓶をちらちら見ながらドライ・ジンを舐めていたのを称してチャーチル・マティーニとかネイキッド・マティーニと言い、これもカクテルの一として広く人口に膾炙していますが、根底にあるのは自分や周囲に対するウイット――楽しませよう、楽しもうという気配りです。

この気配りが、もともとのお酒の本質を変えようというものであるときカクテルと言い、もともとのお酒の本質をさらに活かそうとするときはそのお酒の名前で呼ぶ。これは、理の当然ですね。

何にこだわろうとかまいません。でも、お互いに対する気配りがない限り、作り手はカクテルをつくれませんし、飲み手はカクテルを飲めません。資格がないという意味じゃないですよ。単に「カクテル」にならない、カクテルの姿をした似て非なるもの、その場ででっちあげた混成酒にしかならないというだけのことで。

客は神様なんだから自分の言う通りにしろ、と客が言っちゃおしまいです。ここは俺の店だから俺の言うとおりにしろ、と店主が言っちゃおしまいです。

偶然自分の口にあわないカクテルが出てきたとき、お店の責任だから作り直して、と思うようではホントはまだまだ。そこをなんとかおいしく飲めるように工夫するのがカクテル飲みの真骨頂。

なんてことを言うぼくも、まだまだですね(^^;) 作り直して、とは言わないものの、楽しく飲めないことも時にありますし。
願わくば、カクテルを飲んだときに、ホスト役の人も、周りのお客さんも、みんなが楽しそうな顔をする――そういう飲み手になりたいものです。

本当はよしなしごとに前回の続きも追加されていました。
時間がたつのが早いこの頃。こんなことでよいのだろうかと悩みは尽きません。

Permalink | 1999/10/16 09:00


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