Charlie's Cocktail BAR

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覚悟していたこととはいえ、実際に訃報を聞くのはつらいことですね。

去る一月二日の夕方のこと、かれこれ十年以上通っていた飲み屋の亭主が永眠しました。そう、元旦の朝にぼくがカウンターの中に入っていた居酒屋の主人です。古くから来てくださっている方なら数年前にも一月ほどぼくが店番をしていたことを覚えてらっしゃるかもしれませんね。癌で胃を切り、一度は戻ってきたものの、ふたたび飲み始めて、やがて倒れて。

生前の彼に会ったのは例の仮装パーティーが最後でした。本来なら病院から出てこられるはずもなかったのですが、本人なりのけじめだったのだろうと思います。カウンターの中に入っていたおかみさんを真正面のテーブル席からじっと見つめていた彼。くたびれて長椅子に横たわり、息子に支えられながら家に帰って。

見舞いには行きませんでした。「まっつぐ」な人でしたから、嘘はつきたくなかったですしね。医者からは「せめてもう一週間いてほしかった」と言われていたにもかかわらず、無理して出てきた彼の意を無にしたくはなかったですから。

年を越して、ほっとしたのでしょう。抗癌剤を飲みながらぐずぐずと病院で寝ているよりも、あの世の仲間と屠蘇を酌み交わしている方が楽しいと思ったのかもしれません。容態が急変して、一時間と待たずに逝ったそうです。看取ることはできませんでしたが、弔問にうかがって見た彼の寝顔は穏やかなものでした。いまにも「オメエ、なに恥ずかしいこと書いてんだ」という声が聞こえてきそうです。

この十年、バブルが弾けたせいもあったのでしょうし、いまから思えば五十の声を聞いたばかりだった彼の更年期障害のようなものもあったのでしょう。ひと頃はにぎやかだったお店も、ひとり、ふたりと、影響力のある常連が去るたびに芋づる式に人が減っていき。ぼくより年若の常連はついぞあらわれなかったように思います。

いや、ぼく自身お世辞にも足繁く通ったとは言えませんでしたね。彼のことは親父と慕っていましたし、彼は彼で小指を立てながら「これは、おれのだ」なんて冗談を飛ばすくらい可愛がってくれていたんですが、なにせここはぼくが記憶を飛ばしてしまう数少ない店のひとつでしたから、そのことに悩んで足が遠のいた時期もありましたし、このサイトを始めるのと相前後して、家族ができ、仕事を変わりと、ぼく自身を取り巻く環境も激変しましたから、そうそう親父のところに顔を出してもいられない。

ただ、お互いに料理をする人間として、通じていた部分はあったのだと思います。誰もいない店でひとり愚痴を聞かされたこともありましたっけ。

「おれが一生懸命つくってやっても、あいつら、わかんねえんだ。味わわねえ。見もしねえ。丹誠込めた梅干しを、焼酎に入れろなんて言いやがる」

鶏が先か、卵が先か。過ぎたことを詮索してもはじまりませんが、この彼の思いだけは書き残しておきたい。

たしかに一時期、彼はひどいどんぶり勘定をしていたことがありました。それが理由で去った常連というのも、ひとりやふたりではなかったと思います。

けれど、それは客が彼の特異なキャラクターにばかり注目して、彼の酒や料理を正当に評価しなかったからじゃないか。だから彼は自分のキャラクターに対する対価を請求して、酒や料理の価格を無視したんじゃないか。

不幸な行き違い、なのかもしれない。亡くなった悲しみも癒えぬいま、こんなことを言ってどうするという思いも確かにある。だから、数日中に会うであろう彼らに直接言うことはしないつもりですが。

ジェリーという男には、そんなところがあったと思う――

――というわけで、ごめん、ちょっと落ち込んでます。ほんとは質問もいただいているし、方々への挨拶やら原稿やらも書かんといかんのですが、葬儀が済むまでしばしお待ちをば。

Permalink | 2004/01/04 09:00


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