Charlie's Cocktail BAR

  • −お酒は責任のとれる範囲で飲みましょう−

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なかなか「日記」とはいかないなあと反省しつつ、さんざん悩まされた翻訳は結局当初の予定より三日(営業日換算なら一日半かな)ほど遅れて納品しました。その間、舌が腫れてしまって飲食はもとより話すのにも往生していたとか、首だの肩だの肘だのの痛みで怪人サ○ンパス(もどき)男になっていたとか(かれこれ五日ほど消炎剤を貼ったり塗ったりしているんですが、いまだに痛みが引かないんですよね(^^;))、まあ、いろいろとあったわけですが、短期的にはこれで一山越えたはず。カクテルの仕事に戻るまでにはもう一山二山越えにゃならんのですが、とりあえずここくらいは再開しましょう。

この一週間、どうお返事しようかと悩んでいたRAISHIさんの質問、昔ならここまで書かなかったろうなあと苦笑しつつ結局少しきつめのことを書いたのですが、こういうのを見るたびに世のお父様方はいったい何をしておられるのだろうと首を傾げたくなるんですよね。「親の顔が見たい」って言葉、世の中ではもう死語なのかもしれませんけれど、甘やかすだけ甘やかして、手に負えなくなったらほっぽって、それで今どきの若者は、なんて言ってるんじゃ世話がない。先日もあるところで「最近の学生、特に男子学生はほんとに覇気がないね」という話をさもありなんと思いながら聞いていたんですが、これって裏を返せば「最近の(そのくらいの子供を持つ)親、特に父親はほんとに覇気がないね」ということ。釈迦に説法なんでしょうけど、昔のように子供がたくさんいるわけでもないんですから自分とこの息子くらいなんとかしましょうよ。ぼくのような直接的な物言いをせずとも、それとなく誘導してあげられるのが年の功というものなんですから。

妙な話になったついでに、先日別の場所で読んだ「夢」の話。と言っても睡眠中の夢の話じゃないんですけどね。

キング牧師のスピーチじゃないですが、「私、××という夢があるんです」と言われたとき、みなさんはどう感じますか? 「夢があるって、いいなあ」? 「いい大人が夢なんか見てるんじゃないよ」? それとも「夢っておいしい? 食べられるの?」かしら?

子供の夢って、微笑ましいですよね。「大きくなったら××になるのが夢なんだ」とか言われたら「うんうん、頑張るんだよ」って言ってあげたくなるのが、まあ、素直な反応なんじゃないかと思います。

故人の夢というのは、涙を誘いますね。特に若くして亡くなった人のって。「あの人(あの子)は××するのが夢でしたのに」と、言われたら「ああ、もう少し長生きして欲しかったなあ。そのくらいの夢、かなえさせてあげたかったなあ」と思うのが、まあ、人情でありましょう。

ところが、大人の「夢」って、どうだろう。

ぼくは、「ああ、『夢』なのね」と思っちゃいます。「この人、もうあきらめちゃってるんだ。やる気ないんだ――」あるいは、こう思います。「なりは立派だけど、子供だなあ。『幸せは誰かがきっと運んでくれると信じてる』んだ――」

いや、そう思わない、立派な夢というものもなくはないですよ。キング牧師が I have a dream. と言うとき、それは確かに良い意味で dream たりえるものだと思います。彼の望みは、一人ではかなえられないものでしたから。あきらめたわけではなく、その礎になるべく全力で努力はするのだけれど、それでもかなわないことは知っている。自分が生きているうちに実現されるとは思っていない。そんな、「死してなお夢として残るもの」なら、夢と言ってもいいと思うんです。

でもね、たとえば、ときどき寄せられる「バーテンダーになるのが『夢』なんです」という一言。

バーテンダーなんて、その気になれば誰でもなれるものです。既存の店に雇ってもらうことはかなわなくても、資金を集めて、届け出を出して、場所なり酒なりを揃えてお客様をお迎えしたら、世間的にはもう立派なバーテンダー。そのための手順なんてちょっと調べればすぐにわかることですし、必要な開業資金やら何やらだって、一年や二年では無理だとしても、平均的なサラリーマンなら十年なり二十年なり頑張れば貯まるでしょう。もっと言っちゃえば、別に全額自分で集める必要すらないんです。お酒もそう。技術もそう。

別にバーテンダーという職業を卑下するつもりはないですが、たとえばキング牧師の夢と比較して、その程度のものが「夢」かしら? 企画を立てて、企画を実現するための道筋を考えれば(難易の差はあれ)誰でも実現可能なものなのに、「夢」なのかしら?

お財布に千円入っているときに、「カップラーメンを食べるのが夢なんです」って言われたら、どう思います? よしんばお財布に百円玉ひとつ入っていなかったとして、まともな大人なら、仕事をするなりお金を借りるなりすれば(今すぐではなくても)食べられますよね。それを、夢? 変でしょう? 何か裏があるんじゃないかって、勘ぐりたくなりません? たとえば相手が深層のご令嬢で、そのようなものを食べることが家訓で禁じられているとか。カップヌードル恐怖症で、カップに手を触れただけで失神してしまうとか。

ま、それはつまらない冗談としても、本当にやるかどうか、またいつやるかは別にして、やればできる(と自分が確信している)ことに「夢」なんて言葉は使わないんですよ。

「夢」ってのは実現できない――少なくとも自分は実現できないと信じている、あるいは実現の仕方を知らない、実現する気がない――ものに使う言葉なんです。

だから、大人になって、「夢」がなくなる、極端に少なくなるのはある意味至極当然のこと。子供の頃の「夢」は、もうコストと優先順位のついた「目標」でしかなくなるんですから。優先順位が下がりすぎてもはや夢と呼んで差し支えないものになることはあるかもしれませんけれど、それはもう現在形で語られるものではなくなっている。過去の、もう消えてしまった、おそらく二度と取り戻すことがないだろう自分の可能性が持っていた夢になっている。

どうせ語るんだったら、過去の「夢」なんかじゃなくて、未来の「目標」を、そしてその目標を実現するために取ろうと思っている手順や道のりを語りたいし、語ってほしい。

夢――であってほしくはないんですけど、どうです、みなさん?

Permalink | 2004/02/03 09:00


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