Charlie's Cocktail BAR

  • −お酒は責任のとれる範囲で飲みましょう−

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「なかなか始まらず」なんて言うと始まる仕事。これもマーフィーの法則なのか、それとも「誰に見られているかわからない」ということなのか(^^;) 左腕の痛みを取るべく馴染みの銭湯で湯治もどきの長風呂を繰り返していると言ったら整体師さんに大笑いされてしまったのですが、長丁場のときは無理は禁物。痛むときは横になるのが何よりの薬のようです。

ともあれ、例によって溜め込んだ質問のお返事から。これもはばかりネタなのかなあと思いつつ、「ブルーハワイというカクテルがありますが、パイナップルジュースって黄色いから仕上がりが綺麗なブルーにならないんですよね。黄緑っぽくなっちゃう。綺麗に仕上げる方法ってありますか?」というさわちんさんへ。黄緑になるのは明らかにブルー・キュラソーの量が少なすぎる(もしかして1tspくらいしか入れてないのでは?)からなんですが、その色の濃さがスカイブルーないしウォーターブルーになるか、またもっと緑がかった色になるかはブルー・キュラソーそのものの発色の良さにも関係してきますし、個人の味覚と趣味の問題がありますので一概にこれという処方は示せません。ただ、ぼくがうちでボルスのブルーを使って実験した限りでは、ラム30ml、ブルー・キュラソー15ml、パイナップルジュース30ml、レモンジュース15mlという標準処方より、ラム30ml、ブルー・キュラソー20ml、パイナップルジュース25ml、レモンジュース10mlくらいにした方が色・味とも万人向けかなあとは思いました。もちろんもっとブルー・キュラソーを増やせば青みは増しますし、パイナップルジュース(とレモンジュース)を減らせば黄色っぽさは消えますが、キュラソーを増やしすぎると余計なオレンジの香りが強くなりすぎますし、パイナップルジュースを減らしすぎるとブルー・ハワイらしさがなくなりますから、その辺はさわちんさんが使っている銘柄の発色の良さや味の強さにあわせて適宜調節してくださいまし。

いささか古い話なんですが、三月三日と五月五日のことを書いたよしなしごとに、酒と桜さんから「3月3日も休みにしたらいいんじゃないかと言う意見が交わされたとき、女性の国会議員さんがそういう風に特別にみることが、女性蔑視、差別になるといって反対して、3月3日はお休みにならなかったんですよ」というレスがついたので、補足というか、もうちょいストレートな形で話を続けましょう。

五月五日が祝日なのに三月三日が祝日でないのは女性蔑視でけしからんという女性も、三月三日を祝日にすると女性蔑視につながるという女性も、あえて乱暴な言い方をすれば、女性蔑視を理由に挙げている時点で、文明・文化の「ぶ」の字もわかっていない野蛮人か、女を(もしかすると人間を)捨てた人工知能もどきなんです。

たとえば会社という組織の中で、男性と同じ責任を背負わされていながら、女性だという理由だけで男性と同じ賃金を受け取れないというのは確かに差別だと思うし、それはぼくも問題だと思っている。ただし、それは同じ責任を背負っているのに年齢が若いというだけで、あるいは外国人の血が流れているというだけで賃金が安いとか、特定の権利を受け取れないとかいうのを問題視するのとまったく同じ次元での話なんですよね。賃金にしろ、他の権利にしろ、背負ってる責任に応じて与えられるべきだと思うから、たしかに本当にまったく同じ責任を背負っているのなら、性別がどうであろうと、年齢がどうであろうと、国籍がどうであろうと、同じ権利を有するべきだと思う――んだけれど、その一方で、背負ってるものが違うのにひとくくりにせよと言われると、何だかなあと違和感を感じてしまう。

××歳なら職種を問わず同賃金にするべきだなんて議論がいかにナンセンスかは説明の要がないと思いますが、賃金の男女格差や何やだって同じでしょ? もちろん一般論として既存の会社組織には理不尽な差別が残っていることが多いとは言えると思うけど、少なくともその会社の尺度で見て会社への責任の取り方が違うんだったらその会社から得られる報酬が異なるのは当然のことだし、そこに不満を感じるなら、別のもっと理不尽でない集団に属するなり、誰かに責任を取ってもらうことなんか考えないで、すべてが自分の肩にかかるフリーの世界に飛び込めばいいんです。たしかにフリーの世界ですら多少の参入障壁はあるでしょうけど、女性の参入障壁なんて外国人の血が混じっている人の参入障壁に比べたらはるかに低いんですしね。女性に理解のある組織だっていくらでもあるんだから。

ただ、いずれにしてもこれは多分に賃金労働者としての尺度ですよね。たしかに賃金労働者は社会の大きな要素ではあるけれど、社会にはそれ以外にも、まったく別の基準で仕事をしている家庭内の労働者(日本ではいわゆる専業主婦のことね)とか、年金生活者、就業していない子供たちがいるんだから、当然そういう人たちの尺度というのはあるはずですし、賃金労働者だって労働時間以外まで賃金労働者の顔をしている必要はないんだから、家庭の父/母や、夫/妻、そんな枠組みすらとっぱらった一人の男性/女性という尺度だってあるはずです。

そして、三月三日の問題って、むしろそういった一人の男性/女性に戻ったときの尺度ではかるべきものでしょ? だって、(大人の、それも労働者たる)女の節句じゃない、女の子の節句ですもの。itでしかなかった幼児を、sheに変えていくための儀式。それが三月三日、桃の節句の意味でしょう?

それを、おそらく理想的には男女の違いを無視されたがっている労働者、つまりその瞬間はheでもsheでもなく、itであることをよしとしている人の尺度で測るのって、どうだろう。

三月三日なんて小さな例でしかないけれど、そういった中性化を積み重ねていったら、生物学的には女性の身体をしているんだけど、労働時間が終わってもsheに戻れない、ギスギスした、ロボットのような(あるいは生物としての本能に従うだけのケダモノのような)生き物が育つだけなんじゃなかろうか。

そりゃあ、労働者it、あるいは労働者itを使う経営者の立場からすれば、heとかsheの区別なんてない方がいいかもしれない。けれど、そのitの究極の姿って、機械よね。労働者がit化すればするほど、経営者はそれを機械化しやすくなる。国政の場合でもそう。国民がit化すればするほど、当局は国民をモノ扱いしやすくなる。IT政策って字面の上からも象徴的なんだけど、機械だから、モノだから、良心の呵責を感じることなく簡単に使い捨てられるし、壊れるまで酷使(搾取)できる。そのくせその使う側の人間はheとかsheとかのウェットな世界にいて、縁故がどうのこれまでの貢献がどうのと言ってるの。そんな例、枚挙に暇がないと思うけど、どうだろう。

文化って、さまざまな人種や集団、あるいは男女といったグループの(特に社会的な)違いを認めたうえで、それを尊重していくところから生まれるんだと思うんだけれど、特に男女差別撤廃を訴える論者の意見って、どうも男女の生物学的、文化的な差とか伝統的な文化とかを無視して、男と同化しようとしているというか、男にもなりきれずに(当然よね)中性的な何かになろうとして、正真正銘の男社会からいいように搾取されている、あるいはそうして伝統的な女性の文化を破壊しているようにしか見えないことが多いと思う。

女性には女性のやり方があるんだって、胸を張って言えばいいのに。差別うんぬんでなく、女性の価値観で三月三日も祝日の方がいい/祝日にする必要はないと思うからそう主張しているんだって、そう言えばぼくらも納得するのに。

いや、たしかに男の価値観で納得いかない部分はあるかもしれない。男の目から見て、こうすればいいのにと思う部分が出てくることもあるとは思う。でも、そういった別の価値観をお互いにすりあわせながら受け入れ(あるいは敬して遠ざけ)てこその文明人なんだし、それがなくなったら……考えるだけでもぞっとしますよね。

ああ、もちろん同じことはわれわれ男性陣にも言えるんですぜ。itの究極形は確かに機械ですが、社会でそれをもっともよく体現しているのは兵士、戦士なんですから。

や、別に酒と桜さんがどうこう言うのではなく、先日も別の機会に似たようなことを思ったから思い出しついでに書いただけなんですけどね。何かの話のネタにでもなればこれ幸いということで。

Permalink | 2004/02/22 09:00


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